最近、よくメールやLINEなどで「無理しないで」と、
無意識に書いていることがあります。
相手のことを気遣っているつもりでもあるのですが、
自分に向けて書いているようにも思います。
僕はだいぶ無理してきました。
今だからやっと言えるけど、かなり最近は自覚できるようになりました。
特に最近は、再生不良性貧血の重症度が上がり、
主治医から「よくこれで普通に働けますね」などと言われて、
すっかり、自分は無理している人なんだという意識がこびりつき、
頭から離れなくなっています。
そうか、無理しているんだ、毎日無理しているんだ、と。
一頃、学校に週7連勤していたことがありました。
それこそ、仕事が終わらないし、学期末なら通知表の所見を書かなきゃだし、
家に仕事持ち帰っても怠けてしまうし、だったら学校の方が捗るし、
なんだか、仕事が先で、生活が後回しになっていることがありました。
でも、メニエールになり、うつになり、貧血がひどくなり、
そんなことしていられないなと、思うようになりました。
やっぱり自分の身体がないと、やりたいこともできないし、
自分が健康じゃないと、やりたいことも、家族のしたいこともできないし。
そう考えると、だいぶ今は仕事の手を抜くようになってきました。
例えば、参加しなくていい仕事は極力参加しない。
よくあるのが、
「お手すきの先生がいらっしゃいましたら、体育館にお集まりください」等の、
ボランティアを募る放送。
これってだいたい、椅子を片付けたり、机を運んだり、という、
力仕事系だったりします。若手は駆り出されています。
だから、僕は行きません。薄情なようですが、
実際「お手すき」じゃないし、身体ももたないので、
辞退しています。そのことは年度初めにお知らせしているので、
自ら「役立たず」とレッテルを貼っておくことで、
批判をかわすようにしています。
(実際かわせているかは、耳鳴りで聞こえないので分からないし笑)
ちょっと前までは家族でさえもあまりよく分かっておらず、
息切れして休日に寝転がっていると、「寝ているなら遊びに連れてけ」と、
子供たちからビームが発せられていましたが、
物が分かってきて、3回も入院した今では、
家事を多めにやっているだけで、娘から「少し休んだら」と声を掛けられます。
周りの意識を変えていくためには、自分から発信しないとそれは伝わらない。
だから、今では無理しないようにして、
本当に必要なことだけやるようにして、自分を守っています。
それは、学習内容が分かるような教材の用意だったり、
算数の授業の所見を詳しく書いておいて、担任に渡したり、
貸出用の児童用タブレットを整理して、余計なデータを消したり、
印刷室の片づけをしておいたり、
あんまりみんなが見えないところでお節介をしておいて、
ちょっとずつ違う形で返している「つもり」です。
やりたいことをしていく。僕の場合は、
どんな形でも、相手が喜ぶようなことをしたい、というのが根底にあるので、
気付いた人が喜んでくれればいいや、ぐらいのサービスでやっています。
そのうえで、自分の授業も仕事もやりたいようにやっていく。
最近の僕の根底には、「無理しない」がキーワードになっています。
たまに、めまいやうつの関係で、休んじゃうこともあるんですけど。
これも最近は、「無理しない」で休めるようになったと思います。