教師の日常

日々の出来事の記録です。主に仕事、子供、病気のこと。

今日まで、明日から

今日で年度が終わる。

異動があったり、入院があったり、理不尽があったり、

なんやかんや起こった1年だったけど、

それでもどうにか終わっていく。

 

振り返ってみたところで、いつも通りと言えばいつも通りだったし、

例年と違って、思わぬことが起きたり、

子供との関係で悩んだり、

年を重ねて、経験を重ねていけば安定するかと思いきや、

そんなこともなく、その年に応じて、いろんなことが起きる。

 

それでもまた、一年、一年と年を重ねていく。

 

一つだけ思ったのは、先日の卒業式で、

子供たちが「やらされている」感じで、式に参加していたこと。

 

うちの学校はどういうわけか、3月入ってすぐに、

毎日2時間ずつ練習をしていて、

6年生は3月のほとんどを体育館で過ごしていた。

それもほぼ毎日。

3週間近くあったから、30時間ぐらい練習していたことになる。

 

そんなに練習していたからか、

子供たちも飽きた感じだし、何か「やらされている感」が拭えなかった。

 

ガチガチに固めていく部分も必要なんだろうし、

「これだけ練習した」んだから、動きも自然にできるようになっていて、

子供たちには安心感があったのは否めない。

でも卒業式って、もう教師が型を押し付けてやる儀式でなくても、

いいように思った。

 

6年生の実行委員会を立ち上げて、

内容を見直してもいいぐらいであって、

型通りの証書授与があって、

号令で動かされる6年生がいて、

来賓の挨拶を黙って聞いて、

呼び掛けをして、本当に思っていないようなことを大声で発表する。

何年も何年も続く、同じような儀式。

これがこのままでいいのか分からない。

 

ただ、反省でそういうことを書いても、

「卒業式ってそういうものじゃない?」という、

何にも考えない反論が出るぐらい、

学校文化って固定化しているから、

来年度は異動して2年目なので、

もう少し、学校として変えていけるところを、提案していきたい。

 

 

明日から新年度になる。

やる仕事は今までと一緒、

でも、やる内容は今までから刷新して、

新しい学校を作っていきたいと思う。

抵抗勢力も多いけど、(意外と管理職だったりする)

変えていけるところは変えて、新しくしていくことも必要。

 

そんなことを考えている春休みは、

前半を終えて、明日から新年度。

また、新しい出会いと挨拶と意識のすり合わせの毎日が始まる。

そして、僕にとっては、教職最後の1年とする予定の、

(個人的)ラストイヤーの幕開けとなる。

花粉症の改善

花粉症の季節がやってきた。

とはいえ、今年はほとんど症状が出ない。

プロテイン、ビタミンC,D及びナイアシンを含め、

藤川式のメガビタミンが効いてきたようだ。

始めてからはや4年。

ようやくマスクなしでも外出できるレベルになった。

(とはいえ、感染症予防でマスクを手放せないんだけど)

 

花粉症で悩みだしたのは、結婚前だから、

もう20年近く前。

初めて症状が出たのは、学校のイベントで花火をしたとき。

6年生の修学旅行のキャンプファイヤーで、

その時に使う花火を持って行き忘れて、

放置してあったけど、せっかくだからと、

急遽春休み前にやったことがあった。

その時の手伝いで、火をつける役をしていた時、

突如鼻が決壊したかのように鼻水が止まらなくなった。

それが最初の花粉症の症状だった。

 

それから毎年、春休み前の3月は、

鼻が詰まって、目がかゆくて、

おまけに通知表も書かなくてはいけないし、

年度末の処理もあるから、

ストレスの最大値を毎年迎えていた。

 

2020年。世間はコロナ禍が始まった頃、

僕はめまいがひどくて、外出はおろか、

家の中の移動もままならない時期だった時に、

「メニエールを治した人がいる」という記事を読んだことで、

メガビタミンを始めてみた。

 

あれから4年。

紆余曲折があって、今は飲む量もほぼ決まってきて、

ほぼ一定量を毎日飲んでいる。

プロテインが一日2回。

ビタミンがA×1,B×1,C×6(分3),D×1,E×3、

Mg×6(分3)、ナイアシン×4(朝2、昼1,夜1)。

 

めまいは変わらないけど、花粉症はすっかり鳴りを潜めて、

穏やかな春を過ごせるようになった。

 

さらに昨年度から担任じゃないので通知表もほぼないし、

年度末の処理もそれほど多くないので、

ほんとに穏やかな春を迎えている。

自分の誕生月が、こんな穏やかに過ごせているのは、

いつ以来かと思うくらい、のんびりした3月である。

 

ちなみにメガビタミンの効果として、鬱の改善もあり、

今はうつ病の薬(サインバルタ)も飲まなくなり、

もちろん、他の病の薬も飲んでいないので、

身体もずいぶん楽になった。

ありがたい話です。

いつか魔法は解かれて

小学生に算数を教えている。

その子たちもいつかは、成長していく。

いつまでも同じところに留まることはない。

時期が来れば卒業して小学校を出ていくし、

新しい子たちが入学してくる。

 

小学校にいる子供は、ずっと同じではない。

教員も同じ。

公立の場合は、1年単位で異動で入れ替わり、

新陳代謝が激しい組織だ。

校長が変われば、去年までの方針からガラッと変わって、

職員は戸惑ったり、喜んだり、

親は喜んだり、反発したりして、

それでも時は過ぎて、それが当たり前になっていく。

 

僕の教えている子たちも、あと1か月すれば、

進級したり、進学したりして、入れ替わる。

同僚も入れ替わる。

働き者の若者も、やる気のない中年も、

屋台骨である大ベテランも、ヘラヘラしている教頭も、

入れ替わる時期が来る。

僕だって、あと数年もすれば違う学校に異動する。

 

今目の前にいる子供たちに、いくら楽しい授業をしても、

記憶に残ることは、ほとんどない。

これだけ楽しく過ごしたって、あっという間に忘れていく。

 

自分だってそうだ。

小学校の楽しかった思い出なんて、

数えるほどしかない。

それも取るに足らないことばかり。

誰と遊んだとか、プールが冷たかったとか、

遠足のバスで酔ったとか、学芸会で叫んだとか、

そんな一瞬の思い出が、実は何十年も覚えていたりする。

逆に言えば、それ以外の大半の時間は忘れられる。

 

自分が初めて「ひらがなを書ける」ようになった時のことを覚えていない。

たし算ができた時のことも、

逆上がりができた時のことも、

もっと言えば、先生が何を喋っていたかなんて、

全然覚えていない。

ダジャレを言っていた、とか、

始業式の出席確認の時に名前を呼ばれなかった、とか、

なんか分からないけど激怒していたな、とか、

そんなことぐらいしか覚えていない。

 

自分も数年後には、

「小学校の時に、名前は忘れたけど、算数教えていたおじさん」のような、

雑な思い出の一端になるのだと思う。

 

それでいい。

 

教師なんて、一期一会で、

今の出来事に人生掛けて生きているつもりになっているのは、

その時だけなのだ。

次の年になれば、新しい子たちに同じことを教えるし、

異動したらもう関わることもない。

同窓会なんて呼ばれるのは、本当に運がいいことだと思う。

 

「パパ先生の授業は面白いから、来年は担任になってよ」

ありがたい言葉だけど、

その言葉を来年また言われるとは思えない。

いつか君たちは僕のことをすべて忘れる。

 

今はただ魔法が掛かっているだけで、

その魔法は12時の鐘が鳴るよりも早く、

きっと解かれていく。

残るのは、わり算ができる、図形の名前が分かる、

二等辺三角形が書ける、といったことだけ。

 

それが教師の仕事なんだ。

 

と、思って書いたけど、ちょっと寂しい、そんな3月なのだ。

ジェットコースター

朝から不機嫌だった。

前の晩からの寝不足のせい。

原因は中途覚醒。一度起きると、なかなか寝付けない。

11時に寝て、2時に起きちゃったもんだから、

そのままウツラウツラしてたみたいだけど、

結局、4時半ぐらいから起きてしまい、

それでも寝不足なもんだから頭も働かないけど、

授業の準備したり、新聞見たりして、

何とか気を紛らわせて起きていた。

そんな朝。

 

一本のLINEが届く。

朝から届くLINEはだいたい、他の先生の、

「今日休みます」的な内容。

お子さんが熱出した、自分が体調が悪い、

病院に連れていくから遅れる、など。

まあ、代わりに授業して、って依頼の内容が多い。

寝不足で、若干苛ついていたが、

とりあえず中身を確認しようと、スマホに手を伸ばす。

 

「おはようございます。

息子が発熱のため、病院に連れていきます。

算数を代わりにお願いします」

 

まあ、そうなるだろうなと思って、続きを読む。

 

「今日はわり算のあまりが出るところを教える授業です」

 

知っとるわ、と心で毒づく。寝不足のせいです。

 

「あまりが出せるようになれば大丈夫です」

 

・・・?

よく分からないままイライラしてくる。寝不足のせいです。

 

まず、今日が何をやるかは、

自分が計画立てて先生方に配ってるんだから、

僕の方が分かっている。

わざわざ内容を知らせてくださることに若干イラつく。

 

さらに、「あまりを出せるようになれば大丈夫です」。

はぁ!?

こっちは20年近く教員やってて、

あまりの出し方くらい、きちんと教えられます。

何だか傲慢な言い方になってしまうが、

教える内容は確実に理解しているし、

それを習得させることもきちんとできる。と思います。(少し弱気)

 

すっごいご丁寧なLINEをご本人は送っているつもりなのかもしれないけど、

気を使いすぎて、逆にイライラさせてくるLINE。

まぁ、馬鹿にされたと思っているんですね。

向こうはそんなつもりないんだろうけど、

こっちのコンディションが悪いせいで、マイナスに捉えてしまう。

朝からよくない兆候です。

とにかくイライラが止まらない。

 

あぁ、こういう日は、授業してもイライラしてしまうから、

子供に当たらないようにだけ気を付けなきゃ、と、

そこに気付いて、配慮できるようになった自分に成長を感じてしまう。

そんな不思議な余裕。そしてイライラ。

感情が波のようです。

 

 

そして、そんな日に限って、

なぜか全部の授業がうまくいって、

子供も自分も満足してしまう・・・。

不思議な一日。

まあ、自分の感情の問題だけなので、きっと影響がないんだろうけど。

あまりもきちんと出せるようになっていました。

なんてすてきな子供たち。

 

もちろんその先生は、

「授業やっていただいて、ありがとうございました」

と後でお礼を言ってきたので、

「あまりが出せるようにしておきました」と

謎の上から目線で返しておきました。

 

感情のジェットコースターのような一日がありましたとさ。

言葉の力

言霊ってあるように思う。

言葉のパワーは強い。

教室でよく子供たちが「ウザイ」「死ね」「こいつが~」など、

乱暴な言葉を発しているのを聞いていると、

(正直文字化しているのも)

心から疲れてしまう。

 

それは精神的に弱っていることもあるんだろうけど、

やっぱり負の要素が大きいせいもあるだろう。

 

「私は日々あらゆる面でだんだんと良くなっている」

エミール・クーエの自己暗示は有名な話だが、

僕は最近やっと唱えようと決意することができた。

頭の中がグルグルして、考えがまとまらなくて、

身体に不調が出て、めまいがして、

ほとんと動けなかった2月上旬。

 

きっと、今までの疲れがたまっただけだったのだろうと思うけど、

それだけでは説明がつかないくらい、気持ちが落ち着かない。

だから、ちょっと生活を見直そうと思い、

とりあえず、行きたい芝居を予約したり、

食べたいものを食べたりと、心のリミッターを外してみた。

だけど、それは物質的なものであって、

心身が満たされた感じはなかった。

実際食べたいものを食べても、消化に疲れて、身体がだるいし、

芝居に行けば、行くことに、観劇することに、

(2時間近く椅子に拘束されることに)疲れてしまう。

まして、つまらない芝居に当たったら目も当てられない。

 

そこで、ついに精神的に息詰まる前に、

言葉を変えてみようと奥さんに言われ、

クーエの言葉を朝晩20回ずつ唱えてみることにした。

 

だいぶ落ち着いてきた。

これは3連休で休めたことや、

日差しが温かくなったこともあるのかもしれないが、

気持ちが和らいで、とげとげしたものが落ちてきた。

 

この言葉に加えて、

高名な占い師に言われたことも、再びやってみた。

「ホ・オポノポノ」である。

 

毎日「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています。」と

心の中で唱える。

隙間の時間に唱える。

変なことを考えそうになったら唱える。

皿洗いや掃除のときに唱える。

散歩の時に唱える。

 

以前は通勤の時に、念仏のように唱えながら通勤していたが、

それをいつしかやめてしまった。

やめたタイミングと自分が疲れ始めたタイミングが揃っていたので、

そういうことなのかと思う。

 

この2つの言葉のお陰で、

今、少しずつだが回復している。

(「ホ・オポノポノ」の方は、僕の血液の病気治癒のために、

ある占い師に教わった方法だが、

確かに数値が上がった経緯もある)

 

人が集まる環境にいるからこそ思うけど、

やっぱり言葉の力って大きいと思う。

それは僕が感受性が強いとか、精神的に弱いとか、そういうことじゃなく、

人間のもって生まれた性質なのだと思う。

悪い言葉に浸って気分が良くなる人はいないし、

それがいいことだとは思わないだろう。

 

明日からの出勤が少しだけ、楽になりそうで楽しみだ。

髪を切った

先日の休み前に髪を切った。

僕の髪の毛はかたいので、

あんまり伸ばしていると、あちこちに伸びてしまう。

それこそ自由気ままな髪質なのだ。

 

で、短くしてもらってスッキリして、

顔の毛や眉、耳の毛なども剃ってもらい、

顔がツルツルになった。

若返ったかのようだった。

 

実際僕は最近、年齢より若く見られるようになった。

昔は年齢以上に見られることが多く、

23歳で教員になったときは、

よく周りの人に、もう30代?と聞かれるぐらいの顔だったのだが、

やがて顔が年相応になり、

そして年齢が顔を追い抜いて行ったみたいで、(顔を追い抜く?)

いつの間にか、若々しい顔になっていたのだ。

 

ま、それはそれとして。

 

髪を切ったのが金曜の夜だったのだが、

土曜に耳石が動いたらしく、一日めまいがひどくて、

日曜も月曜も治まらず、そのまま火曜日まで休んでしまった。

 

水曜日にようやく動けるようになったが、

時間を間違えて、ギリギリの時間に学校に着いた。

入口は子供たちでごった返していたのだが、

正門を入る前に、登校中の子たちに見つかり、

「あぁ、先生、髪切った!」と、

新種のポケモンを見つけたかの如く騒がれる。

 

そのあとは噂を聞きつけガヤガヤ寄って来られて、

「はいはい、ありがとね。はいはい、切ったよ」

なんて、生返事をしながら進んでいくのだが、

どうにも絡まれてしまい、結局職員室にたどり着いたのが、

定刻3秒前だった。(危ない)

 

その後も、休んでたこともあって、

会う子会う子が、

「久しぶり」「具合大丈夫?」「髪切ったの?」「似合うね」

などと、すれ違いざまに行ってきたり、

わざわざ言いに来たり、もてはやしてくれて、

嬉しくなったわけですよ。

 

「自分、この学校で人気あるのか?」と、

変な錯覚に陥りかけたけど、

物珍しいものを見て騒いでるだけだから、と、

ちゃんと冷静になってしまう自分は、

昔みたいに浮かれることなく、

それなりに年相応の考え方ができるようになったなと、

老いを実感しているのです。

 

見た目に反して、中身は冷静だけど、

やっぱり年とっても、周りに気にかけてもらえるのは、

嬉しいものです。

よろこび

あんまり仕事で褒められなくなってきた最近、

ちょっと寂しくはあるけど、

まあ、もう年齢も重ねてきて、

当たり前にできて当然と思われている節もあって、

それはそれで寂しい気もしていて。

 

でも今、学校評価という名目で、

子供や保護者からアンケートを集めているんだけど、

みんな思ったことを好き勝手書いているから、

だいたい方向性がバラバラで、まとまらない意見ばかりなんだけど。

 

その中にたまに、嬉しいのがあって。

 

僕は学校のホームページ作りを担当している。

ホームページって、ブログもそうだけど、

読んでもらっているのか、実際読んでどう思われているのか、

分からないから不安があったりする。

 

ブログはスターが来たり、コメントがあったりするから、

まだ分かるけど、

ホームページはご意見・ご感想をお寄せする欄がないから、

正直どう思われているのか分からない。

分からないけど、ネタは多いから、

毎週2,3本は学校での出来事を、それこそブログ形式で書いている。

 

学校評価にコメントがあって、

「以前より更新頻度が上がって、学校の様子が分かります。

ありがとうございます。」

 

嬉しいねぇ。

もう、この一人のために、ちゃんと作ろうと思いますよ。ホント。

思わずこのコメントを読んで、

「ほぉ!」とおっきな声出してしまいました。

職員室で目立ったけど、それを伝えたら、

「私も読んでますよ」なんて先生もいて、

「意外と読まれているんですね」と訳の分からない返事をしてしまった。

 

 

嬉しいと言えば、

面と向かって言われるよりも、

子供たちから自然と発せられる声が嬉しかったりして。

 

今日も授業が終わったとき、いつもおとなしい女子のグループの中から、

「『パパ先生』の算数が一番面白いんだよね」と、

話しているのが耳に入ってきて、

直接言われるより、こういう方がテンション上がりますよ。

 

今日は嬉しい一日になりました。