教師の日常

日々の出来事の記録です。主に仕事、子供、病気のこと。

いつか魔法は解かれて

小学生に算数を教えている。

その子たちもいつかは、成長していく。

いつまでも同じところに留まることはない。

時期が来れば卒業して小学校を出ていくし、

新しい子たちが入学してくる。

 

小学校にいる子供は、ずっと同じではない。

教員も同じ。

公立の場合は、1年単位で異動で入れ替わり、

新陳代謝が激しい組織だ。

校長が変われば、去年までの方針からガラッと変わって、

職員は戸惑ったり、喜んだり、

親は喜んだり、反発したりして、

それでも時は過ぎて、それが当たり前になっていく。

 

僕の教えている子たちも、あと1か月すれば、

進級したり、進学したりして、入れ替わる。

同僚も入れ替わる。

働き者の若者も、やる気のない中年も、

屋台骨である大ベテランも、ヘラヘラしている教頭も、

入れ替わる時期が来る。

僕だって、あと数年もすれば違う学校に異動する。

 

今目の前にいる子供たちに、いくら楽しい授業をしても、

記憶に残ることは、ほとんどない。

これだけ楽しく過ごしたって、あっという間に忘れていく。

 

自分だってそうだ。

小学校の楽しかった思い出なんて、

数えるほどしかない。

それも取るに足らないことばかり。

誰と遊んだとか、プールが冷たかったとか、

遠足のバスで酔ったとか、学芸会で叫んだとか、

そんな一瞬の思い出が、実は何十年も覚えていたりする。

逆に言えば、それ以外の大半の時間は忘れられる。

 

自分が初めて「ひらがなを書ける」ようになった時のことを覚えていない。

たし算ができた時のことも、

逆上がりができた時のことも、

もっと言えば、先生が何を喋っていたかなんて、

全然覚えていない。

ダジャレを言っていた、とか、

始業式の出席確認の時に名前を呼ばれなかった、とか、

なんか分からないけど激怒していたな、とか、

そんなことぐらいしか覚えていない。

 

自分も数年後には、

「小学校の時に、名前は忘れたけど、算数教えていたおじさん」のような、

雑な思い出の一端になるのだと思う。

 

それでいい。

 

教師なんて、一期一会で、

今の出来事に人生掛けて生きているつもりになっているのは、

その時だけなのだ。

次の年になれば、新しい子たちに同じことを教えるし、

異動したらもう関わることもない。

同窓会なんて呼ばれるのは、本当に運がいいことだと思う。

 

「パパ先生の授業は面白いから、来年は担任になってよ」

ありがたい言葉だけど、

その言葉を来年また言われるとは思えない。

いつか君たちは僕のことをすべて忘れる。

 

今はただ魔法が掛かっているだけで、

その魔法は12時の鐘が鳴るよりも早く、

きっと解かれていく。

残るのは、わり算ができる、図形の名前が分かる、

二等辺三角形が書ける、といったことだけ。

 

それが教師の仕事なんだ。

 

と、思って書いたけど、ちょっと寂しい、そんな3月なのだ。