入院していたとき、
話を聞いてくれる看護師さんがいるだけで、気分が落ち着きました。
そういう意味では、精神科に入院したとき、一番話を聞いてもらっていました。
今どう?
何かしたい?
身体の様子はどう?
それに対して、
「寂しい」
「今は布団にくるまっていたい」
「まだ、めまいのような感じがする」
と、答えていくと、
自分がそういう状態なんだと、改めて思い考えることができて、
それが確信になっていきます。
そのうち、若い看護師さんでしたが、私が話を聞くことも増えました。
私、看護師に向いてないんですよ。
いつまでも続けられないかなと思ってて。
実家に帰ろうとは思っています。
実家の方の病院で看護師しようかな。
それに対して、
「そんなことないですよ」
「やりたいだけやればいいんじゃないですか」
「実家は近いんですか?」
「ご両親は喜びそうですね」
など、なんでもいいんですけど、思ったことを答えてしまいます。
ただ、これだけなんですが、なんか必要とされているみたいで、
ちょっと有意義な時間になったことを覚えています。
職業柄ということもありますが、初対面の人に、
「話しやすいですね」と言われます。
子供もそうです。
人見知り、とか、ひねくれてる、とかいう子供でも、
なぜか私の周りにいて、ゴチャゴチャしていることがあります。
(本当にゴチャゴチャ好き勝手なことをしてます)
子供も思い付きを適当に喋っているだけで、
こっちもまじめに相手していないんですが。そういう感じの時。
「先生の今日の服装、○△※×!」
「私の?ひどい言い方だね。」
「だって、その服、○※!△×じゃん!」
「うん。あぁ、そうね。」
「だけど、顔は、△#$%だね。」
「その言い方は、面白いね」など。
会話にもなってない。
もうあれですね。ナウシカですね。
「怖くない、怖くないよ」と言いながら、指を嚙まれるような。
いつまでも話を聞いているだけだし、実のあることなんかないし、
でも時間の許す限りは、相手しようかなと思えると、
意外と心を開いてくれるものです。
その後は頻繁に来ちゃうので、事務仕事が片付かない難点もありますが、
話を聴くことも大事な仕事なので、これはこれで大事なのです。
だから私も、時間の許す限り話してもよさそうな相手の時は、
とことん話をしてしまうので、
その反応を見て、心を開いたり、閉じたりしています。
同じ人間の中に、こういう多様な感じ方があるというのも、
ブログを書くようになってから気付いた部分です。
最初の看護師さんたちも、意外と私の話は聴いてなくて、
どういう反応するかを見てたんでしょうかね。
そう考えると、質問に対してどう答えるか、またはどう対応するかって、
個性が出るし、相手を知るには大切なことなんだなと、
いまさらながら思い至るわけです。
すごい策士だったんだな、看護師さん。
私に何ができるかって、ただ相槌打つぐらいですが、
それでいいなら、いつでもおいで、ってなもんです。
できれば、私の話も聞いてもらえると嬉しいです。