教師の日常

日々の出来事の記録です。主に仕事、子供、病気のこと。

趣味の時間

授業で笑いが起きない場合は、何だかつまらない、と思ってしまう。

座って一時間過ごしているのが、苦痛な子どもだっているだろう。

だから、少しでも楽しんで帰ってもらいたいと考えてしまう。

と、同僚に話すと怪訝な顔をされることがある。

無駄なサービス精神なのかもしれない。

 

なんで、そんな精神を持ち合わせているのかと思うと、

子供のころから落語を聞いているせいかもしれない。

 

初めて落語を意識して聴きだしたのは、小5の時。

某長寿番組の座布団の取り合いのコーナーの前に、

演芸コーナーがある。

その時やっていた落語を、たまたま買ったばかりのラジカセのテストで、

録音したのがきっかけ。

 

春風亭小朝師匠の「湯屋番」。

若旦那がひたすら妄想する話で、

今思うと、5年生じゃ半分も理解できていなかったんじゃないかと思うけど、

そして、今思うと女性の容姿に対する発言が過激だったけど、

文字通り、テープが擦り切れるくらい聞いたし、

思い出して喋れるくらい、聞きとおした。

 

そこから面白いもので、ラジオやテレビの演芸番組で、

落語がかかるたびに録音していた。

録音したものは最低3回は繰り返し聞いていて、

親からは毎日大音量で落語が聞こえてくることを心配された。

 

なぜか人情噺だけ保存したり、

出囃子を編集して30分のテープをこしらえたりと、

不思議な編集作業もしていたけど、

聞いた話を何度も繰り返し流したり、

寝るときに聞きながら寝落ちしたりと、

学校に行っていない時間のほとんどは、落語を聞いていた。

 

友達がJPOPに目覚めていく中、

ただ一人落語に目覚めていった。

老練な中学生だったと思う。

 

だからか分からないけど、

当時から面白いことを喋ろうとする癖がついてしまった。

落語のような感じになってしまって、

それはそれで面白いらしく、教室で笑いも起きるんだけど、

爆笑には、なかなかならない。

でも、存在感は放てたので、一応満足する、そんな学校生活だった。

 

初めて寄席に行って、生の落語を聞いたのは中1だった。

東京、上野の鈴本演芸場

今にして思えば大遠征で、公共交通機関で2時間以上かけて行ったし、

しかも正月興行だったから、客席の込み具合も半端ない。

 

落語の枕で「寄席の日中はお爺さんが昼寝する場所」と言われていて、

そのぐらい人が少なくて、貸し切りみたいなイメージだったけど、

お正月の寄席は華やいでいて、着物姿のお客さんもいて、

とにかくお客さんが楽しみにしている空気があった。

 

満席の中、一つの話をじっくり、とはいかないけど、

入れ替わり立ち代わり出てくる噺家さんが爆笑を取るのを見ていて、

場内が割れるって、こういうことなんだなと実感した。

 

出演者に偶然小朝師匠がいて、「湯屋番」と同じ女性発言をしていて、

生で聞いたけど、女性も大笑いしていたから、

今思えば話術の巧さもあるし、おおらかな時代だったんだと思う。

 

 

今でも落語は、毎日、とはいかないけど、たまに聞くし、

ホール落語が家の近所であれば聞きに行く。

 

そして、自分の仕事でも、

話術の面では落語が生きている。

たまに授業中爆笑を取ったりすると、

なんとも爽快な気分になる。

 

改めて、自分は人を楽しませるのが好きなんだと思う。

その原点は、あの時の寄席のイメージが近いのだろう。