教師の日常

日々の出来事の記録です。主に仕事、子供、病気のこと。

肩書きよりも(追記)

数年前のこと。

以前からあった耳鳴りが突然激しくなったと同時に、世界が揺れ始めた。

その後、回転するめまいが始まって、1週間起き上がれなくなった。

 

起きられるようになって、身体も多少落ち着いたが、常にふらふらして気持ち悪い。

出勤したら、職場で目が回り、そのまま起き上がれず、猛烈な吐き気に襲われ、救急車で運ばれた。

市立病院の耳鼻科だった。

そこの耳鼻科の医師は、「めまい平衡医学会」のめまい専門医だと後から知った。

専門医殿は僕の様子を一目見ただけで、ニヤニヤしながら「メニエールです」と言った。

その後、眼振を見られ、目が揺れまくっているのを見て、「メニエールです」とニヤニヤしながら言った。

一言挟む余地も、経過を語る機会もなく診断名が付けられた。

聴力検査だけやって、薬を出されて、2週間後再診に行くと「ストレスをなくして、生活習慣を見直せ」と断言された。

素人でも言える発言に唖然とした。

2度と行かなかった。

 

その後、いくつかのめまい専門医の耳鼻科に行ったが、経過を伝えても、同じような検査と発言と薬の繰り返しであった。

医師の態度はいつも尊大で、「それだけやってて治らないの?おかしいな?」などと言う。

じゃあ、どうすればいいかは誰も教えてくれない。

 

「専門医なんていない」と思った。

 

やがて病院が信じられなくなり、通院しなくなり、揺れが酷くなり、家から出られなくなり、動けなくなり、ベットから起き上がれなくなった。

最初の回転から1年が経っていた。

家族も見るに見かねたのか、誰も近寄ってこない。

本気で死にたかった。

明らかに異常をきたしていた。でも何をどうすればいいのか全く分からない。

 

ある日、まったく日常生活が営めなくなった僕を、妻は病院へ連れて行った。

大きな病院の精神科への入院が決まるまで、さらに3ヶ月を要した。

 

うつ病と診断された僕は、入院後、並行してめまいの治療を希望した。

その病院にも耳鼻科があったからだ。でもまったく期待はしていなかった。

 

耳鼻科で出てきた医師は僕より若く、正直不安を感じた。

しかし、その後の医師の聞き取りは、今までにない親しさと、スムーズな流れだった。

「いつからです?あぁ、長いですね。最後に目が回ってからどれくらい?寝返り打つとキツイです?どっち向き?なるほど。横向いてください。はいはい。こっち向いて立ってください。あと眼振を見ますね。…そうね。だいたい分かりました。」

ホントかよと思いつつ「椅子を倒しますね」となすがままにされる。

ベッドの上でゴロゴロされる。

 

すると。

 

揺れが、止まった。

 

あんなに揺れてた身の回りが、ほぼ動いていない。

 

「先生!止まった。すごいよ!」

「こういうのを治すのが私たちの仕事です」

 

なんてシンプルな言葉。

でもその言葉の深さをここまで感じたことは、なかなかない。

 

その後、医師は事細かに要因を説明した。

明快だった。納得したし、引き込まれた。

時折笑いながら、それでも希望を語り、何度も何度も「治るから」と励まされ、生活の注意点とリハビリのやり方も教わった。

 

その日から、身体の中の芯の部分が急に動き出した。

治りたい、と。

うつ病は、あっという間に落ち着いていった。

 

後日、「先生もめまい専門医なんですか?」と聞いたら、

「僕はね、まだなんですよー」とニヤッとした。

 

専門医なんて肩書きよりも何よりも「患者のことがちゃんと分かるかどうか」だと思う。

問診でも触診でも検査でも何をしてでも、患者を分かろうとしてくれるか。

僕の医師への信頼度はそこで測りたい。

でもそんな医師はほとんどいない。

 

めまいの揺れは今も続いているが、以前ほどではない。

日常生活は普通に送れている。

死にたくなることは全くない。

リハビリの毎日である。

 

ただただ、先生には感謝しかない。

 

(※追記:現在の僕は「持続性・知覚性姿勢誘発めまい(pppv)」と診断されています。リハビリと抗うつ薬での治療中です。日常的にもふらつきはありますが、普通の生活はできるようになりました)