教師の日常

日々の出来事の記録です。主に仕事、子供、病気のこと。

言葉の力

言霊ってあるように思う。

言葉のパワーは強い。

教室でよく子供たちが「ウザイ」「死ね」「こいつが~」など、

乱暴な言葉を発しているのを聞いていると、

(正直文字化しているのも)

心から疲れてしまう。

 

それは精神的に弱っていることもあるんだろうけど、

やっぱり負の要素が大きいせいもあるだろう。

 

「私は日々あらゆる面でだんだんと良くなっている」

エミール・クーエの自己暗示は有名な話だが、

僕は最近やっと唱えようと決意することができた。

頭の中がグルグルして、考えがまとまらなくて、

身体に不調が出て、めまいがして、

ほとんと動けなかった2月上旬。

 

きっと、今までの疲れがたまっただけだったのだろうと思うけど、

それだけでは説明がつかないくらい、気持ちが落ち着かない。

だから、ちょっと生活を見直そうと思い、

とりあえず、行きたい芝居を予約したり、

食べたいものを食べたりと、心のリミッターを外してみた。

だけど、それは物質的なものであって、

心身が満たされた感じはなかった。

実際食べたいものを食べても、消化に疲れて、身体がだるいし、

芝居に行けば、行くことに、観劇することに、

(2時間近く椅子に拘束されることに)疲れてしまう。

まして、つまらない芝居に当たったら目も当てられない。

 

そこで、ついに精神的に息詰まる前に、

言葉を変えてみようと奥さんに言われ、

クーエの言葉を朝晩20回ずつ唱えてみることにした。

 

だいぶ落ち着いてきた。

これは3連休で休めたことや、

日差しが温かくなったこともあるのかもしれないが、

気持ちが和らいで、とげとげしたものが落ちてきた。

 

この言葉に加えて、

高名な占い師に言われたことも、再びやってみた。

「ホ・オポノポノ」である。

 

毎日「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています。」と

心の中で唱える。

隙間の時間に唱える。

変なことを考えそうになったら唱える。

皿洗いや掃除のときに唱える。

散歩の時に唱える。

 

以前は通勤の時に、念仏のように唱えながら通勤していたが、

それをいつしかやめてしまった。

やめたタイミングと自分が疲れ始めたタイミングが揃っていたので、

そういうことなのかと思う。

 

この2つの言葉のお陰で、

今、少しずつだが回復している。

(「ホ・オポノポノ」の方は、僕の血液の病気治癒のために、

ある占い師に教わった方法だが、

確かに数値が上がった経緯もある)

 

人が集まる環境にいるからこそ思うけど、

やっぱり言葉の力って大きいと思う。

それは僕が感受性が強いとか、精神的に弱いとか、そういうことじゃなく、

人間のもって生まれた性質なのだと思う。

悪い言葉に浸って気分が良くなる人はいないし、

それがいいことだとは思わないだろう。

 

明日からの出勤が少しだけ、楽になりそうで楽しみだ。