教師の日常

日々の出来事の記録です。主に仕事、子供、病気のこと。

最近の夢

ちょっと元気なので、もう一つ。

最近、ある方と将来のことを考え合う機会がありました。

 

話しているうちにだんだんと形になっていったのが、

自宅を改装して、私設の学童保育所を経営しようかということ。

それも学校終わりの子供たちが集まる場だけでなく、

学校にいけない子供たちが集まる場にもしたい。

午前中、お昼ぐらいまでは不登校の子や、

何となく学校に行くのが嫌な子たちが集まって、

遊ぶでも、勉強するでも、好きなことをする空間を提供する。

午後は学校から帰ってくる子たちが過ごす空間として、

遊び場や、おやつや、保護者が家で一人でいられる時間を提供する。

(働いている親じゃなくても利用できるところがポイント)

 

児童館の簡易版みたいなイメージで、

自宅の改装をして、そういう子供たちが集まる場所を作り、

庭を畑にして、収穫した作物を使ってお昼やおやつを提供する。

なんなら、一緒に育ててもいい。

隣には公園があるので、そこで遊んできてもいいし、

場所としてはいろいろなことができるな、という思いが、

急に頭の中でつながった感じです。

 

娘たちも大きくなって、家にいる時間が減るだろうし、

小さい子のお世話が好きな「ゆず」は、きっとお世話に入ってくれそうだし、

(まあ、その頃にはどうなっているか分からないけど)

妻は農業やエシカルな暮らしに興味をもち始めているので、

適材適所になるのかもしれない。

 

僕も妻も教員の資格はあるから、

午前中でも午後でも学習を見ることはできるし、

でも、あんまりうるさいことは言わず、

子供たちがやりたいことができる場所として、

「僕」や「場所」を提供できるんじゃないか。

NPOなのか、法人なのか、財団なのか、何だか分からないけど、

そういう組織にしてしまって、僕は経営しながら、

子供たちの相手をしていくこともできるかなと。

 

不登校の保護者同士が交流する場所として提供することもできるし。

話がしたい保護者って、たくさんいると思っていて、

僕でよければ聞きますよ、って精神でもいます。

 

青写真だけは浮かんできたところ、

ちらほら賛成意見と、こうしたらいいんじゃないかというご意見をいただき、

反対意見はないので、なるほど、需要はありそうだな、と、

考えを深めていっているところです。

 

とはいえ、すぐに辞職して始められる余裕はないので、

しばらくはそういう組織や助成金についての勉強をしたり、

子供や保護者の、実際のところの需要を見極めてみたりと、

学習とリサーチの時間は必要だなと思っています。

 

こんなことを考え始めたこの一週間、ワクワクが止まらないのです。

 

冬休みまで

風邪をひいたり、

インフルエンザになったり、

抗うつ薬を止めたり、

鍼治療に行ったり、

身体のことで、ぐるぐるしていた3か月でした。

 

まず10月頃から断続的に風邪をひき続けていて、

治ったかな、と思うと、

また引き始めて、何だかループしている感じ。

結果的に4回ぐらい風邪ひいて、

なかなかすっきりしない時期が続きました。

 

ある日の授業中、ゲホゲホしている子供が目の前にいて、

あれあれ?と思っていたら、その子は早退。

担任からインフルでしたよ、とその子のことを教わった直後、

自分もすさまじい寒気に襲われ、

インフルエンザになりました。7年ぶり4回目。

久々に、身体が温まらない、悪寒が続く、

怠くて動けない、食欲もないという2日を過ごしました。

薬を飲んで落ち着いたのですが、

反動というか、快復するまでの期間が長く、

20時前に寝てしまうことが、しばらく続きました。

 

そして、現在お世話になっている鍼の先生から、

「そろそろ薬を止めてみましょうか」と、ものすごい提案。

今飲んでいる抗うつ剤免疫抑制剤、胃腸薬を止めることを、

提案されました。

「もう身体が落ち着いているから大丈夫ですよ」と、

自信をもって言われたので、勢いで現在薬を止めて5日目。

ちょっと頭痛がしたり、フラフラしたりするものの、

大きな影響はなく、離脱状態もひどくなく、

このまま乗り切りたいところです。

 

薬を止めて何が良いって、

胃が重くないこと。

常に消化不良状態だったので、何となく胃が重くて、

食べるたびに不快感があったこの半年でしたが、

たった5日ですが、不快感が減って、

食べ物がおいしい。

この基本的な人間の反応が久しぶりすぎて、

嬉しくなってしまいました。

 

身体が薬を必要としなくなっているのなら、

この調子で進んでほしいと願っているわけです。

 

血液の数値も、なぜか上がっていて、

何も知らない主治医の先生は「薬が効いてきたね」と喜んでいますが、

実は何も飲んでいない、と聞いたら、どんな顔をするのやら。

 

そんなこんなでもうすぐ冬休み。

あと一週間を、無事に乗り切りたいところです。

今はいない人

学生時代に、同じ学部の友達が複数いた。

今でも年賀状のやり取りぐらいは続いているが、

なかなか会って話ができるまでには至っていない。

いつも「今年は飲もう」などと書いていたが、

自分が病気になってからは、それもできないため、

まあ、会えたら面白いかな、ぐらいに捉えている。

ちょっと距離を置いている感じ。

 

そんな中、毎年ご丁寧に年賀状をくれる、友達のご両親がいる。

今年は喪中ということで、

そのご両親からは、挨拶のみのはがきが届いた。

 

その友達は、教師を目指していた。

朝も早くから、夜も遅くまで大学にいた。

だいたいどこに行っても、彼は元気な姿でいた。

そして、誰かしらと一緒にガヤガヤと過ごしていた。

 

こういうと大学の人気者的なイメージをもつのだが、

どっちかというと、呼ばれてもいないのに顔を出している感じだったり、

あちこちに顔を売って、コネクションを作っていたり、

とにかく顔の広い人だった。

どこかの小学校の支援員だかボランティアだかになって、

毎週のようにその学校に行っては、

その学校の愚痴や文句も聞かされた。

「だったら辞めりゃいいじゃん」とも言うのだが、

「それも勉強だから」と、妙に達観したような感じで、

それでも毎回愚痴っているものだから、

よく分からないけど、その小学校の教員についてやけに詳しくなってしまった。

 

僕はまだ、「指導要領」と「指導要録」の区別も付かないような、

勉強もまだまだな若造で、そもそも教員になんかなれるのかしら、と、

毎日不安に思いながらも、サークル活動にかまけて、

不安を紛らわしていたような生き方をしていた。

 

大学4年。彼は採用試験に一発で合格し、

4月には、そのどこかの小学校と同じ地区の、別の小学校に配属になった。

僕はやっぱりというか、不合格となり、

別の地区の小学校の非常勤講師になった。

週3日勤務で、月12万という(自分の中では)破格の給料に惹かれたのもある。

友達からは「うまいことやったな」「いいなぁ」と言われたが、

それでも非常勤講師という身分に、何か言いようのない不安を感じた。

 

友達はその小学校でめきめきと力を付けた、ようだ。

実際のところは見ていないし、彼の言うことだけを聞いていたので、

よくは分からない。

ただ、毎週のようにかかってくる電話の様子では元気そうで、

相変わらずその学校の文句や愚痴を言っては、

楽しそうに笑っていた。

僕の家からは遠いところだったので、なかなか会えないものだが、

「お前ら、付き合っているのか」と親に言われるぐらい、

毎週のように電話がかかってきた。

そのたびに愚痴とも不安ともつかない、焦りのようなものを、

毎週お互い言い合ったものだ。

 

1年経って、僕も採用試験に合格した頃、不意に彼から言われた。

「癌になった」

どうも質が悪いらしく、あっという間に転移する種類で、

あんなに元気だった彼は、4月から休職して治療に入った。

 

GWに、別の友達と見舞いに行った。

その時は病院に行ったのだが、入れ違いに一時療養で退院していて、

家まで押し掛けて文句を言った。頭の毛がなくなっていた。

「気晴らしに行こう」

焼肉屋に連れて行った。もちろん飲み食いも制限はあるが、

元気に喋っていた。

大丈夫なんじゃないかなと思っていた。

 

次の年、僕が研究授業をすることになった。

「行くよ」

本当にわざわざ電車を乗り継いで、

学校まで見に来た。やせ細って、頭髪もなくなって、

明らかに病人の様子だったが、

授業が終わって、協議会も出て、打ち上げまで付いてきて、

「いやぁ、楽しかった」と自分のことのように楽しんで帰っていった。

 

その後、2度と会うことはなかった。

 

さらに次の年の4月。

別の友達から「亡くなった」と電話が来た。

発病から2年だった。病気の割に長生きしたのか、よく分からない。

お通夜、告別式、納骨まで参列し、友達の死を静かに悼んだ。

 

毎年命日に彼の実家に集まっていたが、

いつの間にか行けなくなり、今ではご両親とも年賀状のやり取りしかない。

あんなに毎日会っていて、馬鹿なことや真剣なことを喋っていた学生時代が、

本当に遠い昔のように思う。

 

年賀状のやり取りをする友人はもう少ない。

今年は年賀状をどうしようかと悩んでいるが、

寒中見舞いは書こうかなと思っている。

僕の教え方

例えば、こういうことを日々やっています。

 

4年生 算数 分数

仮分数を帯分数に直す方法を理解する。

 

これって、実はわり算ができることが大前提だし、

感覚でできちゃう子も多いんですね。

9/4だったら、4/4が2個あって、

あまりが1/4だから

2と1/4って、分かる子は分かる。

でも、数的感覚って人それぞれだから、

分からない子も当然出てくる。

 

なので、教え方の工夫としてやるのは、

〇や🔲で囲む方法。

 

9/4を計算するときに、最初に教えるのは、

分子÷分母=🔲あまり〇

      ↓   ↙

      =🔲と〇/分母

ということ。

つまり、

9÷4=2⃣あまり①

    ↓  ↙

    =2⃣と①/4

という風に教えて、

あんまりくどくど言わず、練習問題を繰り返していくと、

ほとんどの子ができるようになります。

 

最近、算数の苦手なコースを担当している僕は、

4年生12人にこの教え方で、全員伝えることができました。

とはいえ、まだわり算に自信がない子もいるので、

「なんとなく分かった」という感想も見られたのですが、

「なんとなく」でも分かれば、あとは定着するまで繰り返す。

 

最後に「これは難しいかもしれない」と前振りをして、

47/5のように、ちょっと大きめの仮分数ができれば、

できた子は喜ぶし、できなくても「難しいのにがんばったね」とフォローできる。

(とはいえ、全員出来ちゃうことが多いけど)

 

大事なのは教師が、

視覚で分かるようにまとめること

繰り返すこと

レベルに合わせて難しいと思う問題が解けること

だと思っています。

 

風邪をひいて

最近、よく風邪をひきます。

元々血中の白血球が少ないので、

人より風邪をひきやすいのは当然なのですが、

昨年は全然ひかなかったのに、

今年はもう3,4回ひいていて、

なんだろうな、と思います。

マスクする人が減ったせいかなとも思います。

 

風邪をひくと、何もやる気になりません。

昔はそれでも、無理して仕事に行って、

結局3時間目ぐらいにきつくなって帰ってくるとか、

一日無理して働くけど、やたら機嫌が悪いから怒ってばっかりとか、

何しに来たんだろうと、自分でも思うことが多かったです。

 

ですから、最近は算数しか教えていないことをいいことに、

もう今日は一日休む、と割り切って、

風邪を治すことに一日かけるようにしています。

動けるようなら、鍼の先生の所に行って、整えてもらう。

動けないなら、ゴロゴロして、ボーっと生姜湯でも飲みながら過ごす。

 

今まで風邪をひいても、

周りも風邪をひいているので、無理してきている人が多かったので、

自分もそういうものだと思って、無理して出勤していました。

しかし、

周りと自分は違う、と意識するようになった昨今は、

同じように出勤していたら死ぬと思い、(大袈裟ですがそれぐらい考えます)

休むことを優先するようにしました。

 

「当たり前じゃん」という話ですが、

そこに気付く、または、簡単に実行できるようになるまで、

20年近く掛かったわけですから、

自分でもほとほと嫌になります。

 

最近は、

「休むのが周りに悪いんじゃなくて、休まなきゃ周りに悪い」と思います。

だって、職場でゲホゲホ咳をして、鼻かんでばかりいたら、

周りだって不快だし、具合悪くない人に風邪をうつしかねないし、

何より仕事しにくいですよね。

僕も逆の立場だったら、近づきたくないし、仕事を頼みにくい。

周りに変に気を遣わせるぐらいなら、

一日休んだ方が、自分も周りも楽になります。

 

そういうことを考えていくと、だいぶ楽に休めるようになりました。

もちろん、休むにあたっては職場にきちんと連絡もするし、

本来やるべきだった授業内容や、

使うプリントの在り処などもメールで連絡するので、

「いない」ということ以外は迷惑を掛けていない、はずです。

 

昔見たツイートに「俺がやらなきゃ誰やる」の後ろの「が」の濁点が消えてて、

「俺がやらなきゃ誰やる」となっていた写真を見たのですが、

納得しちゃいましたね。誰かやるでしょう、と。

 

なかなか風邪をひいたぐらいじゃ休めない、という意見も多いですが、

たかが風邪、されど風邪です。風邪は万病のもと。

鍼の先生にも、風邪をきちんと治さないと他の症状が現れると言われます。

 

具合が悪いときは無理せず休む。

簡単にできないことかもしれませんが、当たり前のことになってほしいです。

いま やりたいこと

「自分のやりたいことを書き出すといいよ」と妻から言われたので、

ちょっと思い付いたままを書きます。

 

  1. 教材を作る →教えているときに使いやすいもの、自分の使いたいものが、なかなかないから
  2. ただただ授業を考える →実はそれをしたいために、この仕事に就いたのかもと気付いたから
  3. 役者として舞台に立つ →長年の夢だから
  4. 脚本を書く →いろいろ書きたいことがあるのに頭が散らかっているので、まとめて書きたいから
  5. 本を書く →随筆でも脚本でも教育本でも、世に足跡を残したいから
  6. マッサージ屋を開業する →人を癒す仕事がしたいから
  7. 再生不良性貧血を治す →動きやすくなるから
  8. メニエールを治す →動きやすくなるから
  9. 劇場を作る →自分の作品をやるのでも、劇団に来てもらうでも、箱がないと始まらないから
  10. カフェを開く →家族のみんながやりたいことをまとめると、カフェが一番理想的だから
  11. 自宅をリフォームする →子供が大きくなり、使い勝手が変わり、今後の在り方を考えたいから
  12. 電車の運転をする →子供の頃の夢を実現させたいから
  13. ただただ本を読む →読書欲が急に上がったから
  14. 舞台を見に行く →元気になって、見たいものが増えたから
  15. 施術の仕方を習いに行く →マッサージの技術を高めたいから
  16. カフェに行く →日がな一日ボーっと過ごしたいから
  17. 動画を撮影する、編集する →単純な興味だから(You〇ubeとかでなく)
  18. チャーハンを極める →だいぶ安定して味が整ってきたから
  19. パフェを食べる →食べたいから
  20. 劇団を作る →自分の作品でも人の作品でも、理想的にできるから
  21. 理想の枕を作る →なかなか合うのが見つからないから
  22. 子供と遊ぶ →どこか出かけるでも、近所でも、ただ遊びたいから
  23. 旅行に行く →遠出がしたい
  24. 山の上ホテルに泊まる →作家の泊まったホテルを体感したい
  25. 温泉に入る →ただただ入りたい、露天がいい
  26. 家系ラーメンを食べる →昔よく食べたから
  27. 二郎系ラーメンを食べる →昔よく食べたから
  28. 寿司を食べる →昔食べられなかったから
  29. モルモットを飼う →一度飼ったときの思い出が忘れられないから
  30. ソフトクリームを食べる →ただ食べたい
  31. マンボウを見に行く →初めて見た時の衝撃が大きかったから、また見たい
  32. 海が近いところに別荘を建てる →最後は海のそばにいたいと思うから
  33. 小屋を作る →隠れ家というか、何をしてもいい部屋が欲しいから
  34. 一日中気兼ねなくダラダラする →やりたいことをやりたいから
  35. 学校の改革をする →最近思うことが多いから
  36. 鍼治療を受ける →肩凝りや脚がツるのを防ぎたいから
  37. 昔の同僚で会いたいと思う人に会う →たまに思うから、近況とか知りたい
  38. 生まれ故郷に行く →昔とだいぶ変わったらしいので見に行きたい
  39. 教え子の結婚式に行く →招待されたのに病気で行けなかったので、悔いが残っているので。だからと言って、その子のは行けないから、違う教え子の時は絶対に行きたいから
  40. ブログを広める →最終的に出版できたらいいと思うから
  41. カナダに移住する →新婚旅行で行って、とても素敵な所だったから
  42. 病院に行かなくていい身体になる →貧血だけでなく、病院を必要としない身体になりたいから
  43. 理想の学校を作る →ちゃんと学ぶ、ちゃんと遊ぶ、ただそれだけでいい。
  44. 管理職にならずに今の学校の状態を変える →35と同じだけど、権力をもって変えるのではなく、今の立場で変えたいから

いま思い付いたのはこんなところです。

これが全部叶ったら、僕は何者になっているのか分かりませんが。

 

とりあえず、まずは理想の教材とお昼のチャーハンを作るところから、

今日は始めようと思います。

無理しない

最近、よくメールやLINEなどで「無理しないで」と、

無意識に書いていることがあります。

相手のことを気遣っているつもりでもあるのですが、

自分に向けて書いているようにも思います。

 

僕はだいぶ無理してきました。

今だからやっと言えるけど、かなり最近は自覚できるようになりました。

特に最近は、再生不良性貧血の重症度が上がり、

主治医から「よくこれで普通に働けますね」などと言われて、

すっかり、自分は無理している人なんだという意識がこびりつき、

頭から離れなくなっています。

そうか、無理しているんだ、毎日無理しているんだ、と。

 

一頃、学校に週7連勤していたことがありました。

それこそ、仕事が終わらないし、学期末なら通知表の所見を書かなきゃだし、

家に仕事持ち帰っても怠けてしまうし、だったら学校の方が捗るし、

なんだか、仕事が先で、生活が後回しになっていることがありました。

 

でも、メニエールになり、うつになり、貧血がひどくなり、

そんなことしていられないなと、思うようになりました。

やっぱり自分の身体がないと、やりたいこともできないし、

自分が健康じゃないと、やりたいことも、家族のしたいこともできないし。

 

そう考えると、だいぶ今は仕事の手を抜くようになってきました。

 

例えば、参加しなくていい仕事は極力参加しない。

よくあるのが、

「お手すきの先生がいらっしゃいましたら、体育館にお集まりください」等の、

ボランティアを募る放送。

これってだいたい、椅子を片付けたり、机を運んだり、という、

力仕事系だったりします。若手は駆り出されています。

だから、僕は行きません。薄情なようですが、

実際「お手すき」じゃないし、身体ももたないので、

辞退しています。そのことは年度初めにお知らせしているので、

自ら「役立たず」とレッテルを貼っておくことで、

批判をかわすようにしています。

(実際かわせているかは、耳鳴りで聞こえないので分からないし笑)

 

ちょっと前までは家族でさえもあまりよく分かっておらず、

息切れして休日に寝転がっていると、「寝ているなら遊びに連れてけ」と、

子供たちからビームが発せられていましたが、

物が分かってきて、3回も入院した今では、

家事を多めにやっているだけで、娘から「少し休んだら」と声を掛けられます。

 

周りの意識を変えていくためには、自分から発信しないとそれは伝わらない。

だから、今では無理しないようにして、

本当に必要なことだけやるようにして、自分を守っています。

それは、学習内容が分かるような教材の用意だったり、

算数の授業の所見を詳しく書いておいて、担任に渡したり、

貸出用の児童用タブレットを整理して、余計なデータを消したり、

印刷室の片づけをしておいたり、

あんまりみんなが見えないところでお節介をしておいて、

ちょっとずつ違う形で返している「つもり」です。

 

やりたいことをしていく。僕の場合は、

どんな形でも、相手が喜ぶようなことをしたい、というのが根底にあるので、

気付いた人が喜んでくれればいいや、ぐらいのサービスでやっています。

そのうえで、自分の授業も仕事もやりたいようにやっていく。

 

最近の僕の根底には、「無理しない」がキーワードになっています。

 

たまに、めまいやうつの関係で、休んじゃうこともあるんですけど。

これも最近は、「無理しない」で休めるようになったと思います。