例え話です。
あなたが好きな人と出かけるときに、
待ち合わせ場所に早く着いてしまいました。
相手はまだ来ていません。
さて、どのくらい待てますか?
10分?
30分?
1時間?
2時間?
まあ、何時間待とうと、相手が好きな人であれば、
その待つ時間も、嬉しい時間と言えます。
待っている間にいろいろな想像をしたり、
(どんな服装?どこに行こう?どうやって過ごそう?)
自分の身だしなみを整えたりしながら、
少しだけ相手が来ないことに心配もしながら、
(電車の遅れ?相手がこっちに来られない?何かあった?など)
傍目には気になっていないように見せながらも、
時計をチラチラ見ながら、まだ来ないなぁ、と思いながら、
それでも本や携帯を見ながら待っている。
内容なんか全然入ってこない。
鼓動も早くなって、胸が高鳴ってきます。
そんな時に相手が現れた時の嬉しさと安堵感は、
これから始まる時間を彩る始まりとして働くのではないでしょうか。
このように相手への思いが強ければ強いほど、
「待つ」という時間が幸福なものへと変わります。
翻って、病院ってどのくらいなら待てますか?
予約時間より早めに受付をして待機しているのに、
受付時間を過ぎても、全然呼ばれない。
10分、15分、20分も過ぎようものなら、受付に確認に行く。
「すみません。前の方が混んでいるようで」
仕方ない、本や携帯を見る。
内容が全然入ってきません。(イライラしているから)
気のせいか、鼓動も早くなってきます。(イライラしているから)
この待ち時間に、
今日の医者の様子を想像する人は、まず間違いなくいないと思われます。
(今日の服装は?→白衣、髪型は?→いつもの白髪頭)
(今日はどんなことを言われるのか?→「様子見ましょう」という診断)
(どこへ行くのか?→レントゲン室か心電図か)
やっと呼ばれたころには、予定を1時間超えていたりする。
イライラしながら診察室に入って話をして、
終わって出てくると10分も経っていない。
何しに来たんだろうと、むなしくもなります。
お会計をして帰ろうとすると処方箋が出されています。
あなたは薬局でどのくらい薬ができるのを待てますか?
5分?10分?15分?
病院と合わせて、待ち時間が長すぎて、
読む本もスマホのお気に入りサイトも、読むものがなくなるぐらい。
傍目には気になっていないように見せながらも、
かなり堂々と時計を見だしてしまいます。
間違いなく薬剤師さんの様子なんか想像しません。そこにいるし。
結局1時間ぐらい待たされる場合もあります。
大量の飲み薬を抱えて薬局を出るころには、
すっかり日も沈みかけです。
同じ「待つ」でも、相手によってやはり違うものです。
最近は「待つ前提」で、仕事ややることをもって病院に行くのが、
私の基本フォーマットです。